2009年6月アーカイブ

三井ヒューマンアカデミー御中
渡邉会長、木村先生、皆様

こんにちは。◯◯です。
いつもご指導と励ましを有難うございます。
先週の必修セミナーでの学びを踏まえての最近の実践報告をさせて頂きます。


以前会長が「(大いなる存在に)抱(いだ)かれている」と表現されたことが
私にとって決定的なきっかけとなって、中心が育ってまいりました。
「抱かれている」と思うだけで心と身体の緊張が緩み感謝が湧いてきます。
そして「命そのものでありたい」「命そのものの表現をさせていただきたい」という思いが湧いてくるようになりました。


次いで「利他愛・奉仕・人のため」の意味のコペルニクス的大転換が起きました。

今まで私にとっての「利他愛」は、
何か(ご利益・精神的満足)を得るための手段としてのそれでした。
「なんで渇き切っている自分が人のためにしなくちゃいけないの?」
というのが正直な気持ちでした。

しかし、本来の「利他愛」は生かされ・導かれていることへの感謝報恩としてのそれなんだということに気づかせて頂きました。

つまり何かを得るために「人のためにする」のではなく、
既に頂いているから「人のためにする」のだということです。
これは、中心が育ってきて「既に頂いている」ということが分り始めたからこそ気づかせて頂けたのだと思います。
まだ頭で理解している段階ですが、それでも、今までは単なる知識だったのに比べて明らかに前進できたと感じています。


それから、潜在意識にある「自分にはできない」「自分を受け容れてもらえない」
という思いから無力感や力み、緊張や孤立感などが生じ、
「自己愛」に陥っている自分の姿が見えるようになってきました。(下の傷)

さらにそれを隠すためにうわべの飾った言葉を吐く習慣が出来、
自分の本心が埋もれてしまって自覚できなくなっている姿も見えてきました。(上の傷)

これを乗り越えるために、真の人間関係・信頼関係を結べるよう実践をしなければならないのは分るのですが、これが「分っちゃいるけどやめられない」状態で、なかなか前へ進めないのが現状です。


しかし、深く己を信じ「絶対できる」と信じ、諦めずに問いを続けるとともに、気づかせていただけた「利他愛」の実践から徹底してゆきます。

いつも有難うございます。
それではまた良い報告ができるよう頑張ります。

以前に看護師をしていたときのことです。

その方は、交通事故で脳挫傷と頸椎損傷が原因で、脳の高次機能障害と腕から下が麻痺してしまい全く歩けない状態でした。


初めてその方に逢った時、
「暴力、暴言、セクハラ、唾を吐くなどがあり、なかなかケアをするのも一苦労」という申し送りでした。

さて、どんな方なのか、きちんと処置ができるのかと不安半分でベッドサイドを訪れたのです。


私の顔をみた彼は開口一番

「なんだ!ババアじゃないか。何の用だ?」と大声を張り上げます。

「木村です。よろしくお願いします!」
「このくそババア!歳は幾つだ?30か?50か? でもババアだ!!」
などと益々大声で騒いでいます。

側にいた家族を力一杯両腕を振り上げて叩いています。


「おや、おや、それでは血圧も測れませんね。体温計は入れて下さいね。それに私はそんなにババアではありませんよ〜」と言いながら、これでは腕は静かにしてくれそうもないので足で脈と血圧を測定しました。


処置をするのにどうしても腕を静かにしていただかないと危険なので、腕を抑えると力比べのように私の腕をひっぱります。
そして腕が使えないとわかると、口一杯に唾液を蓄えて私の顔をめがけ吐きかけてきます。

唾をひょいひょいとよけて処置をしながら
「避けるの上手いでしょ〜。でもやりにくいからちょっと唾は止めてくださいらないかしら〜」と言うとこれまたよけいにエキサイトする始末です。


格闘すること30分
ようやく処置も終わり、再び血圧を測ろうとお願いをしてみました。
「血圧測りたいけど、腕をおとなしくしてくれるかしら?」
するとあっさりと
「いいよ!」

腕で血圧を測る間も暴言を吐きながら反対の腕は、
家族の顔をめがけて「空手チョップ!!」と言いながらブンブン振り回しておられました。


ところが最後の血圧測定も終わり
「では、ありがとうございました!」
と声をかけると
「おい!握手しよう!」と振り回していた腕を差し出して、私の手を握ってくれたのです。

それまでの勢いはどこかへ消えとても優しい表情でした。



とここまでお話すると後遺症で大変な方なのだろうなと想像されるでしょう。
私も、その方のお顔を拝見するまでは、どんな顔をしながら暴言暴力をふるっているのかと怖々でした。

でも違っていたのです。
暴言暴力をしながらも、お顔はなんとも憎めない親しみやすい顔をしていらっしゃったのです。


その方は、確かに後遺症で高次機能障害となって、自分が何をしているのかさえ分からない状態になっています。

その人の脳は暴れて、暴言暴力をするように命令します。
でも、その人の高い意識の部分は、その人の本当の姿を顔の細胞に現してくれているのです。

人間を肉体だと思ってみると、その人の脳と心は同じだと思ってしまいます。
脳が思考することや命令することが、その人の心となっていると思っています。

しかし、脳は壊れてもその人の魂の純粋さは、その人の波動となって伝わってくるのです。

肉体は障害を持ってもその人の心(魂)まで障害を持ってしまうわけではないのです。


この方の魂は、肉体のレベルを越えて深い学びをしながら、周囲の方々に光を与えていらっしゃるのでしょう。

ほんの短い期間でしたけれど、この方との交流を通じて大きな学びをいただいた気がしました。

太陰暦からもわかるように地球上のさまざまな自然現象が月の運行と関係があることは昔から知られています。


私達の日常的な営みの料理、食事、散髪、洗濯などの効果も自然リズムに支配されています。
農作物の種を蒔くのもある一定の日に蒔くとより速くより抵抗力が強いということがありました。
昔は薬草を使って病を治していましたが、それも収穫の時期により効き目が違うのです。


こうしたことを調べていくうちに天体の影響を予見するシステムができあがりました。
この天体時計によって天体の影響を知り、それまで偶然だと思われた人間の行為とその結果の関係を予測できるようになったのです。
それからは、種まき、植え付け、手入れ、収穫、貯蔵などが計画的により効果的に行われる様になりました。
さらには外科手術や薬にしても効き目や成功率などが影響されたというのです。


人間の身体は実に60兆もの細胞が一定の秩序を保っています。どの組織をとってもみても独立して勝手に動くなどありません。
細胞が人間の身体のなかでバランスをとりながら機能しているように、私達人間も本来は天地大自然の一部としてバランスして生活を送ることで、自然の恩恵を受けることができるのです。

このように私達の祖先は、自然界には無意味なものなどないとして自然の規則性に注目して自然とともに共生してきました。


「月の癒し ヨハンナ・パウンガー著」より


次回もお楽しみに!

 

tuki.jpg昨夜は、雲の間から覗かせる月が妖艶な美しさを放っていました。不思議なもので月を眺めていると心も身体も楽になって癒される気がしてきます。

その月について少し調べてみました。


人々は、古来より"月"のリズムと共に生活をしてきました。
明治初期まで日本でも旧暦として使われていた「太陰暦」は、月の満ち欠けの周期の朔望月(さくぼうげつ)を一ヶ月としています。


昔の人々は、太陰暦を用いて、潮の満ち干によって左右される沿岸漁業は勿論のこと農業も月のリズムで農作物を栽培していました。
つまり私達人間は、何千年もの間、太陽や月、天候、自然界の動物の行動など自然のさまざまなリズムと法則と調和して生きようとしてきたのです。


人間も自然界に生かされるものの一つです。
人の生死も月の引力に影響を受ける「潮の満ち干」と関係があるといわれます。人は満ち潮のときに生まれ、引き潮のときに死ぬことが多く、満月の日には出産も多いようです。
女性の「月経」の周期も月の公転周期(月が地球を一周する期間)とほぼ等しいのです。

人智学の創始者でもあり、シュタイナー教育、シュタイナー農法、シュタイナー医学で知られるルドルフ・シュタイナーは、子供に最初に教えるのは呼吸のリズムと説いています。
その人の呼吸のリズムも月のリズムと関係しています。
1分間の波の数と同じなのです。つまり1分間に約18回/分。そしてその倍数は人の体温(36度)、またその倍数は人の脈拍(72回/分)とほぼ同じなのです。


因に、このリズムの考え方を療法に取り入れ、シンボルとマントラを用いているのがレイキです。
こんな風に自然界と私達のリズムが同じなのも宇宙の一部として生きる証なのでしょうか。


次回は、月のリズムと私達の健康と生活の関係について書いてみたいと思います。お楽しみに!


【今月の月】
満月(望):8日
下弦の月:16日
新月(朔):23日
上弦の月:29日

美しい月を楽しんで下さい!!

「苦しい、苦しい」と言い続けると心も「苦しくなる」
「貧乏、貧乏」と言い続けると心も「貧しくなる」
「忙しい、忙しい」と言い続けると心を「亡くす」
「病気だ、病気だ」と言い続けると心も「病になる」
「暇だ、暇だ」と言い続けると心も「怠ける」
「失敗だ、失敗だ」と言い続けると心も「挫ける」
「駄目だ、駄目だ」と言い続けると心も「卑屈になる」
「憎い、憎い」と言い続けると心も「醜くなる」


状況は単なる状況
ネガティブな言葉は「マントラ」となって心を蝕む・・・
何が起ころうとも心は健やかでありたいものです。

人は長生きすることを願うが
年老いることをひどく恐れる
年老いることを恐れ長生きを
願うのはいうも愚かな矛盾だ

「知恵の言葉 ツルティム・ケサン 角川書店」より


古来より「不老長寿」を願い人々はそれを求めてきた。
しかし、長生きすることは老いることであるのに全く矛盾している。


人の魂は、何度も生まれ変わる。
生まれ変わる度に「今度こそは」と人生の願いを持って生まれてくる。
そしてまた今生で達成できなかった後悔を、再びそれがさせたいただけるという最高のチャンスを来世へと繋ぐ命。